沿革

現在の航空宇宙工学専攻は、以下に記述するような経緯を経て平成17年度(2005年)に形作られました。

前身の航空工学科は第2次世界大戦の最中、昭和17年 (1942年) 3月27日に新設され、当時機械工学の中にあった2講座を母体として発足し、同年4月16日、3講座が学生定員35名で開講されました。次いで翌昭和18年 (1943年) 7月27日に2講座が、同年11月23日に1講座が増設され、昭和19年 (1944年) 9月22日に第1回の卒業生を送り出しました。

戦後間もなく、連合軍の指令により航空機の製作と研究は禁止され、昭和21年 (1946年) 1月9日に航空工学科は廃止され、かわって4講座編成の応用物理学科が新設されました。戦後の混乱期を通じ、また昭和24年 (1949年) 1月31日の新制大学施行以後も、応用物理学科は戦後の工学部における新しい学科(基礎工学の先駆)としてその教育、研究が軌道に乗り、応用物理学科の卒業生も世間の注目するところとなりました。

昭 和26年 (1951年) 9月8日サンフランシスコ平和条約が締結され、航空機の生産と研究の禁止が解除されて、昭和30年 (1955年) 4月1日には航空工学科も再発足し、昭和33年 (1958年) から学生定員は20名になりました。また昭和39年 (1964年) 4月1日、名称講座への改正により、第1講座から第6講座までの講座名は、それぞれ、流体力学講座、空気力学講座、推進工学講座、構造強度学講座、振動学 講座、航空機構造学講座に改められました。その後、出生人口の一時増加に対応して学生の臨時増募があり、昭和61年度 (1986年度) 以降学生定員は25名になりました。

平成6年 (1994年) 6月24日、大学院重点化改組に伴い、航空工学専攻は航空宇宙工学専攻に改組・改称され、大学院専任講座として航空宇宙力学講座が増設されました。また、 これまで工学部航空工学科に所属していた教官は全て大学院工学研究科航空宇宙工学専攻に所属換えとなり、さらに、航空工学科は新設された物理工学科に統合 され、その中の宇宙基礎工学コースへとその姿を変えました。なお、臨時増募の学生定員はその後減員され、平成13年度 (2002年度) 以降20名に戻りました。

平成17年(2005年)には、新しい時代の進展に対応するため、それまでの工学研究科機械工学専攻・機械物理工学専攻・精密工学専攻・航空宇宙工学専攻を統合して機械工学群を構成し、研究・教育体制の充実を図りました。機械理工学専攻を中心とする機械工学群の中で、航空宇宙工学専攻は、マイクロエンジニアリング専攻とともに、新しい研究・教育をプロジェクト的に展開する拠点として、新しい時代に機動的かつ重点的に対処する役割を担っています。

戦前の航空工学科としては2回の卒業生を、 戦後転換された応用物理学科としては、昭和21年 (1946年) から昭和33年 (1958年) まで14回の卒業生を出しました。さらに昭和34年 (1959年) から再出発して航空工学科の卒業生を、また平成9年 (1997年) からは物理工学科・宇宙基礎工学コースとしての卒業生を出して、これまでに合わせて1,200名を越える卒業生を社会に送り出しました。卒業生の約半数は 航空宇宙工学分野において、残りはその他の関連分野において活躍しています。